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生物と無生物のあいだ

2009年08月23日 23:10

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

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上の引用は、以下でも良かったかもしれない。

よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。


いつも通り、話題の本も話題が去った頃に読んでいる。鮮度のない書評ブログって価値があるのか?なんてことは気にしないことにしよう。
( 記事が長くなりすぎたので、最後によくまとまっているよそ様の記事を3つほどピックアップしてみました。この本に興味のある方はそちらを読まれた方が良いかも(笑) )

初めに生命とは?という問いが立つ。自己複製と動的平衡。筆者は完全に納得しないながらも、この二つが現在の科学の到達点だとして、説明を始める。

説明の仕方が素敵ポイントだ。おそらく、この分野に詳しくない人を導く目的なのだろう、一つ一つの事柄が周辺から固められていく。ニューヨークの都市について、ポスドクについて、一見、関係なさそうな説明が挟まれ、その真ん中に近づいていく。初めは芝居がかって見えたこの手法であるが、語られていることがあまりにドラマティックで、むしろ、すんなりと入ってくるようになる。

杭を打つように人物が登場する。その杭が打たれたところまで、少しずつ読者を誘導していく。DNAのワトソンとクリック。動的平衡を見出したシェーンハイマー。そこまでの道にも、細かく杭が打たれ、丁寧に丁寧に誘導してくれる。最後の杭は、生物について考察する筆者自身だ。

DNAの発見というエピソードを用いて、自己複製が説明される。だが、生物として、それだけではもの足りない。自己複製ができるウィルスは筆者にとって無生物であるという。生命の律動を感じないから。人はパッと見て、貝殻を他の石から区別できる。そこに感じるような生命の律動はどこから来るのか?それが、動的平衡かもしれない。

放っておいた肉が腐って土に還るのに、生きているものの体はなぜ朽ちないか?全ての部品が目まぐるしい勢いで、新品に変わっているからだ。じゃあ、なぜ、生命は形を保てるのか?

ジグソーパズルのピースの比喩で動的平衡が語られる。タンパク質は「相補性」によって緩く噛み合ってつながっているが、そのタンパク質を一つのピースに例えている。食事により次々ピースが流れ込み、外された古いピースが排出される。だけど、ピースが変わらなければ、出来上がる『絵』は変わらない。そして、この壊して再構築する仕組みにより、生命は常に新しく、崩れない。

僕の思考が少し本から逸れる。どうやったら、こんな仕組みができるんだろう?相補性により噛み合うタンパク質は唯一である。このタンパク質自体はどうやって作られたのだろう?

ジグソーパズルは絵を切り刻んでピースを作る。でも、構成できる生命の形を決めておいて、ピースが作られた訳じゃない。ピースは作られた(選ばれた?)時から、これだけの拡張性があるものだった、ということになる。複雑な噛み合わせを持ち、入れ替えの仕組みの可能性を内包するピース。そして設計図であるDNAとの関係。考えていくと、ある瞬間に道筋が消えるような感覚。

…話を本に戻すと、この動的平衡を以て、2つ目の生命の定義とできるかもしれないと述べている。動的、つまり時間の関数であること。これがいつも同じようでいて、その実、決して後戻りできない生命の在り方を表しているのではないだろうか?

ある一つのタンパク質を一切持たないマウスを生み出す。普通に生活できるはずがない、という予想のもとに生み出されたマウスが元気に生き続ける。この失敗の原因を筆者はある重大な錯誤のせいだという。

重大な錯誤とは、端的にいえば「生命とは何か」という基本的な問いかけに対する認識の浅はか(ナイーブ)さである。


生命が時間に対して後戻りできず、進み続けること。最早、手を加えたマウスは手を加える前のマウスと同じには語れない。時間が経過し、異なる平衡にたどり着いているからだ。

筆者はこれをあくまで答えに対する「接近」だという。「まだ何かあって欲しい」そんな風に僕も思ってしまう。僕の場合、それは、動的平衡があまりにも化学的にありふれたものであるという感覚にあると思う。根っこにはもっと『生物チックな』何かがあって、それが動的平衡を要請しているといいのに、なんていう妄想は、素人にはただ楽しい。

そしてもう一度、本の筋とは別のことを考え出す。
ある部分は、ピースを設計図通りに作り出す。ある部分は、それを必死に他の場所に送り、送られた先では目まぐるしい勢いで、ピースを取り換える。遠くから見たら、必死にその作業を行っているようにしか見えない『絵』であるが、自分の仕組みを一切知らない。そしてある時、その仕組みに疑問を抱き、自分の部分を覗き込む。最新の機器に巨額のお金をつぎ込んで、こんなに近いものを必死に覗き込む。この、グッと来る滑稽さ。

さて、旬を過ぎた本であるため、書評はもう溢れているというレベル。

お隣さんも書評されている。ギュッとまとまった記事になっているので僕の記事なんかと比べると使い勝手各段に良い。
山路を登りながら、こう考えた。:生物と無生物のあいだ - livedoor Blog(ブログ)

いくつかのポイントをピックアップして、わかりやすく書いてあるものとしては、次の記事が面白いと思う。
書評「生物と無生物のあいだ」?生命のドラマを知る? - shingotada diary

僕も好きな書評ブログにもこの本に関する記事がある。
活かす読書 生物と無生物のあいだ
この記事には、対象読者が限られると書かれているが、僕はこれを広げたい。たとえば「好奇心がある人」とか。高校生程度の生物の知識があったら読みやすいのは確かであるが、興味が持てれば読み通せる威力がある本だと思う。

僕の評価は★★★★★(星5つ)
いろいろ満足の一冊だった。
ちょっと記事が長くなりすぎた上に、触れられなかったこともあって、反省点の多い書評になってしまったけれど…。
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土木学会誌

2007年04月30日 20:38

というわけで、土木学会誌を読みました。
面白く、また、マイナーな雰囲気だったので、紹介する価値があるかな?と思ったのですが…。

まず、Amazonで扱っていないことが明らかになりました。
そして、『土木学会誌』でググると土木学会誌のページがヒットするのですが、リンクするのに許可が必要だとか。
しかも、そのページから土木学会誌を買うことはできないような気がします(土木学会のHPで問い合わせる必要があるみたいです)。

テンション急降下ですよ。

まあ、とりあえず、レビューをしておこう。

『土木』という言葉を聞いたら、普通の人は古臭い印象を受けると思います。
少なくとも僕は土木学科に入るまではそう思っていました。
土木学科に入ってしまったのは、ちょっとした間違いみたいなもんです(笑)

ところが実際入ってみると、古臭いどころか最先端なわけです。
まあ、よくよく考えてみれば当然なんですが、僕は少し感動したわけで。
それに前に紹介した『地球の水が危ない』ではないですが、土木の歴史はドラマチックな出来事の連続です。
ネタを探せばいくらでも見つかりますし、本にしようと思えば何冊にでもなるでしょう。

そんな面白い土木の世界を古臭いなんて思っていた自分は愚かだった、というつもりは特にありません。
そう言ってしまうと今が愚かじゃないみたいなので(笑)

まあ、でも、下らない誤解だったな、と。

世界的には理学より工学に人材は集まります。
そして、土木は工学のど真ん中です。
他が面白くないとか新しくないというわけではもちろんないですが、土木が面白く新しいのは、本当は当然のことなんでしょうね。

土木学会誌の5月号の特集は『学会誌デザインの90年』というものでした。
それを読むと、この学会誌もけっこうな模索をしながら進んできているのが分かります。
論文集と学会誌の分離から、学会誌の存在価値の模索していくことで今の形になったとか。
土木のコアな世界と一般とをつなぐ役割りもその模索の一つとして挙げられています。
そういった発展の仕方をいくつか見ていくと、学会誌というフィールドでも土木はけっこうフロンティアだったのかな、と思いました。

…できればウェブ上でもうちょっと動いてくれると、そう言い易かったんですけどね。

5月号では他には、この前の能登半島地震に関する速報が写真入りで易しく書かれていたり、歴史街道構想や、全国高校ものづくりコンテスト、東京都の公園の衰亡、土木デザイン賞などについての記事も載っていて、とても面白いと思います。

表紙や中の写真もきれいなので、もし本屋さんなどで見かけたらパラパラ見てみるのもいいのではないでしょうか?
本屋さんで普通に売られているのかどうかは知りませんが…(苦笑)

というわけで、土木学会誌のレビューでした。



地球の水が危ない

2007年03月17日 12:03

「その流域の人々の生活への愛情なくして開発は意味をもたない」

地球の水が危ない地球の水が危ない
高橋 裕

岩波書店 2003-02
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本当にいい本だった。広く深い知識と広い人脈を元に語られる話はどれも印象的だった。端々に表れる力強い言葉たちにも強く心を打たれた。文章への気遣いも並々ならぬものがあり、高橋先生のこの問題に対する真摯な態度に、好感を超え、尊敬の念でいっぱいである。

その内容であるが、題名の通り地球の水の歴史・現状からその危機的状況を語り、その解決へ向けての提言がなされている。現状の把握に関してはさまざまな例が適切に選び出されたデータを通して語られる。バランスを間違えれば煩雑になるかもしれないくらいの大量の情報が、驚くほどすっきり提示されている。その危機的状況は「中学で習ったような有名な川の全てで問題が起こっているのではないか?」と思えるほど。「二〇世紀には、石油争奪が原因で戦争が勃発したが、来る二十一世紀には水獲得問題が原因で戦争が発生する可能性が高い」(一九九五年、世界銀行イスマエル・セラゲルディン副総裁)という言葉が現実的に思えた。

これらの状況に対して日本人はきわめて無関心であることも語られている。それは日本には国際河川がないことも要因として挙げられているが、実は日本人にとって世界の水問題は深いかかわりがある。その一つの理由として、日本が、牛肉・野菜などの輸入を通して、その育成・栽培にかかる水(仮想水・バーチャルウォーター)を大量に消費している国であることが挙げられている。

そして、これからの河川開発のあり方、それへの日本の関わり方へ話が移っていく。河川開発の現時点での到達点を踏まえ、河川開発のあり方、そしてその心構えについて語られる。この時点では既に、高橋先生の提言について疑問をさしはさむこともできないくらい、この本にメロメロだった。また、世界の水問題でこれから焦点となっていくであろうモンスーン・アジアの中の日本、この地域で唯一先進国である日本、水問題をどこよりも早く短期間の間に体験し対応してきた日本、について語られ、日本の責務の大きさが示される。

そして、この本で特に僕が気にっているのは、しばしば現れる過去、そして現在の研究者たちの取り組みを高橋先生が語る部分である。愛情いっぱいに語られている。世界の技術者の情熱もさることながら、日本の技術って本当に凄いんだな、と改めて思った。『明治の先人たちの高い心意気』という節から最初の一文がとても印象に残っているので引用しておく。
治水事業に限らず、多種のインフラストラクチャーの整備をきわめて短期間の明治・大正から昭和初期に、近代技術を習得し、日本国土に展開し得たのは、世界技術史の奇跡とさえ評価されている。

いや、何か断片的なレビューになってしまったが、本当に内容が濃いんで…
僕の力及ばずでした。

でも、評価は★★★★★(星5つ)
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