『『論理哲学論考』を読む』という本書は、まさに『論理哲学論考』を読む本なのである。さて、僕の大好きな野矢さんの本。
カバーに野矢さんの写真。
ノリノリなのか、茶番だと思っているのか分かりづらい表情が面白い。
本書も面白かった。
『論理哲学論考』に対する理解は深まったと思う。
でも、僕の中では、今までの野矢さんの本に対する満足の度合いから言うと、厳しい。
とりあえず、面白かったという前提で、僕が減点に感じた点をあげてみようと思う。
まず、胡散臭い。
哲学って、胡散臭さがいやだ。
相手が反論できなければ、それでいいのか?
その微妙な例は一般性があるつもりか?
その議論で、実際本人は満足なのか?
そんな疑問がとめどなく出てきて、こんな疑問が出てくるような主張は嫌いだ。
だって、騙されたような気がするんだもん。
僕は頭の固い人間なのだ。
で、今までの野矢さんの本はほとんどこういうのがなかった。
それはある種感動だった。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』もそういうのがなかったような気がする。(これは僕の理解が足りないだけな恐れも強い)
が、この本は、胡散臭かった。
非常に残念だった。
そして、次が、あまりにも恣意的に見える『論考』の読み方。
論考にはこういうことが書いてあるから…という前提での解釈は見ていて辛かった。
同じような理由で、めちゃくちゃあっさりと捨てるところもある。
「このように書いてるから、むしろこうだ」とか言い出したりすると、もう意味不明。
『論考』を読んでるんじゃなくて、大筋は野矢さんの考えが述べられているだけ、という印象だった。
それに必要な論考の一部や、その他の資料を都合よく引っ張ってくる。
そういう部分を通過するとき、モチベーションの維持が大変だった。
ただ、それでも面白かったという印象が残っている。
名と対象の関係などに関する、論考の前半部分の理解が大きく進んだことも大きいだろう。
実際、この本の出だし付近はかなりのめりこんで読めた。
そして、ウィトゲンシュタインの言葉の引用が僕のモチベーションをところどころで回復させた。
特に、
幸福に生きよ!
なんて痺れたなぁ。
ウィトゲンシュタインみたいに内へ内へこもっていきそうな人(僕の勝手なイメージ)が、こういう言葉にたどりつくのが凄い。
幸福…
ウィトゲンシュタインがいかに必死に考えていたか、その事実が感動だ。
読み終わって清清しい。
僕の評価は★★★☆☆(星3つ)
うん。こんなもん。