沿うことを前提とした上で、角度を付けて少しずらしていくのが私が経験的に得たコミュニケーションのコツである。『○○力』というタイトルの本が多い気がしてきた。
少しこういう本にしぼって本を読もうかな?と思って、はじめに選んだ本。
とにかくダラダラした本だ。
ページを進むごとに何かが得られていく、という本では決してないし、散りばめられているお話も面白いものではない。
たぶん内容のないものを一冊に引き延ばしたせいだろう。
時々、太字にされた部分があるが、なぜに太くされたのかは不明なところも多い。
日本語も「こんなの本にしていいのか?」と思うほど凡庸である。
質問を技化(わざか)しようという本らしい。
質問の種類を座標を使って分類しているのが、それに対応しているのだろう。
その座標上のこの部分に相当する質問をするようにしなければならない、というのが何回か繰り返される。
たとえば、座標上で具体的な質問を表すゾーンと、本質的な質問を表すゾーンが重なった、具体的で本質的な質問のゾーンに分類される質問をしよう、みたいな。
そしてその後、それができている(と作者が主張している)質問の例が挙げられる。
これだけ聞いてその人の中で技化できるなら、こんな本いらない。
これだけ聞いて技化できると思えないから、こんな本いらない。
どっちにしろいらない。
そんなことを思いました。
あなたの本があまりにも具体的でないことについて、あなたはどのように思っていますか?
という齋藤さんに対する質問を思いついたが、この質問は具体的で本質的だろうか?僕にはこの本を読んだ後で、それすら分からない。
ま、僕、頭悪いからね。
ただ、始めの方を読んで「いい質問ができるようにならないと」とは思った。
それは僕にとっていいことだったと思う。
他の面白い本で同じ結論を得ることができたら、嬉しかったな、と思う。
後、若干良かったな、と思うことを無理やり挙げるとしたら、この本に載せられている例であろうか。
いい質問がされた例だそうである。
「ホントにそれが良い質問か?」と思うような例が多くあるが、そのストーリー自体には時々興味を持てた。
一番面白かったのが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』からの引用。
そこでは聖書に書かれているキリストと悪魔の対話について語られている。
悪魔がキリストにする質問に対し、キリストが
「人はパンのみにて生きるものにあらず」
「神を試みてはならない」
「ただ神にのみ仕えよ」
という答えを返す。
『カラマーゾフの兄弟』中の登場人物は、そのキリスト教の本性を示す解答を与える悪魔の質問こそが凄いという評価をしている。
曰く「あの三つの問いの出現にこそ、まさしく奇蹟が存しているからだ。」
…『カラマーゾフの兄弟』って面白そうだな、と思いました(笑)
僕の評価は★★☆☆☆(星2つ)
星1つでも良かったが迷ったので2つにしてみた。