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矢上教授の午後

2009年08月31日 06:15

「むろん、この状況を歓迎しているわけではないのだが。だがね、一度こんな場面に行きあってみたいと思っておったのは確かだろうな」
「というと?」
「ずばり、閉ざされた空間での犯罪」


矢上教授の午後矢上教授の午後

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本屋をふらふらしながら、タイトルに惹かれて買った本。可もなく不可もなく…よりは少し満足できなかったかな。

大学の中にある老朽化した建物。普段人気の少ないその場所に、微妙な秘密を抱えた学生・助手・教授なんかが集まっている。そこに、雷雨で停電。エレベータが動かなくなり、ちょっとややこしい形の非常階段・非常扉のせいで、結果的に建物が封鎖される。そこで、殺人事件が。

ベタと言っても良い展開。ベタなのも嫌いではないので、ここに何か新しさがあったり、キャラクターが特殊だったり、文章が上手かったり、という特徴があれば良い。しかし、全ての点で弱い。

不自然な印象が残る。

登場人物が多く、会話主体の文章。しかし、個々の人物に特徴がないため読みにくく、また会話が多いのに説明口調ばかりで軽快さがない。上に引用した「というと?」みたいに、会話を成り立たすための、「とりあえずの相槌」が多いのも良くない。一度だけ、主人公の矢上教授が「○○じゃ」なんて口調で喋るけど、どんなキャラづけがしたいのさ?

細かく章を分けて視点が変わる。そこで、登場人物が後ろ暗いことを、こそこそと。しかし、登場人物の区別が難しいため、もうどこの誰の話なんだか。

お話の伏線も頭に残りにくい。ただただ、見せ方が汚いのが原因。たくさんの小さな謎を散りばめる手法はけっこう好きだけど、書く力がある人が取るべき手法だと思う。

一番不味いのは、随所で必然性が無視されること。なぜか取られない合理的な行動は、おそらく筆者の想定不足。読者は、必要のないところで解放されることのないストレスを溜めるだろう。たとえば、「最後までオチを語らない探偵」というベタな設定のせいで起こる、展開。何か切羽詰まって見せるから頂けない。

思いついたトリックに適切なお話を選べなかったのかな?

僕の評価は★★☆☆☆(星2つ)
けなし過ぎたな、と反省しつつも、妥当な評価かなと思うけど…。
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生物と無生物のあいだ

2009年08月23日 23:10

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。

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上の引用は、以下でも良かったかもしれない。

よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。


いつも通り、話題の本も話題が去った頃に読んでいる。鮮度のない書評ブログって価値があるのか?なんてことは気にしないことにしよう。
( 記事が長くなりすぎたので、最後によくまとまっているよそ様の記事を3つほどピックアップしてみました。この本に興味のある方はそちらを読まれた方が良いかも(笑) )

初めに生命とは?という問いが立つ。自己複製と動的平衡。筆者は完全に納得しないながらも、この二つが現在の科学の到達点だとして、説明を始める。

説明の仕方が素敵ポイントだ。おそらく、この分野に詳しくない人を導く目的なのだろう、一つ一つの事柄が周辺から固められていく。ニューヨークの都市について、ポスドクについて、一見、関係なさそうな説明が挟まれ、その真ん中に近づいていく。初めは芝居がかって見えたこの手法であるが、語られていることがあまりにドラマティックで、むしろ、すんなりと入ってくるようになる。

杭を打つように人物が登場する。その杭が打たれたところまで、少しずつ読者を誘導していく。DNAのワトソンとクリック。動的平衡を見出したシェーンハイマー。そこまでの道にも、細かく杭が打たれ、丁寧に丁寧に誘導してくれる。最後の杭は、生物について考察する筆者自身だ。

DNAの発見というエピソードを用いて、自己複製が説明される。だが、生物として、それだけではもの足りない。自己複製ができるウィルスは筆者にとって無生物であるという。生命の律動を感じないから。人はパッと見て、貝殻を他の石から区別できる。そこに感じるような生命の律動はどこから来るのか?それが、動的平衡かもしれない。

放っておいた肉が腐って土に還るのに、生きているものの体はなぜ朽ちないか?全ての部品が目まぐるしい勢いで、新品に変わっているからだ。じゃあ、なぜ、生命は形を保てるのか?

ジグソーパズルのピースの比喩で動的平衡が語られる。タンパク質は「相補性」によって緩く噛み合ってつながっているが、そのタンパク質を一つのピースに例えている。食事により次々ピースが流れ込み、外された古いピースが排出される。だけど、ピースが変わらなければ、出来上がる『絵』は変わらない。そして、この壊して再構築する仕組みにより、生命は常に新しく、崩れない。

僕の思考が少し本から逸れる。どうやったら、こんな仕組みができるんだろう?相補性により噛み合うタンパク質は唯一である。このタンパク質自体はどうやって作られたのだろう?

ジグソーパズルは絵を切り刻んでピースを作る。でも、構成できる生命の形を決めておいて、ピースが作られた訳じゃない。ピースは作られた(選ばれた?)時から、これだけの拡張性があるものだった、ということになる。複雑な噛み合わせを持ち、入れ替えの仕組みの可能性を内包するピース。そして設計図であるDNAとの関係。考えていくと、ある瞬間に道筋が消えるような感覚。

…話を本に戻すと、この動的平衡を以て、2つ目の生命の定義とできるかもしれないと述べている。動的、つまり時間の関数であること。これがいつも同じようでいて、その実、決して後戻りできない生命の在り方を表しているのではないだろうか?

ある一つのタンパク質を一切持たないマウスを生み出す。普通に生活できるはずがない、という予想のもとに生み出されたマウスが元気に生き続ける。この失敗の原因を筆者はある重大な錯誤のせいだという。

重大な錯誤とは、端的にいえば「生命とは何か」という基本的な問いかけに対する認識の浅はか(ナイーブ)さである。


生命が時間に対して後戻りできず、進み続けること。最早、手を加えたマウスは手を加える前のマウスと同じには語れない。時間が経過し、異なる平衡にたどり着いているからだ。

筆者はこれをあくまで答えに対する「接近」だという。「まだ何かあって欲しい」そんな風に僕も思ってしまう。僕の場合、それは、動的平衡があまりにも化学的にありふれたものであるという感覚にあると思う。根っこにはもっと『生物チックな』何かがあって、それが動的平衡を要請しているといいのに、なんていう妄想は、素人にはただ楽しい。

そしてもう一度、本の筋とは別のことを考え出す。
ある部分は、ピースを設計図通りに作り出す。ある部分は、それを必死に他の場所に送り、送られた先では目まぐるしい勢いで、ピースを取り換える。遠くから見たら、必死にその作業を行っているようにしか見えない『絵』であるが、自分の仕組みを一切知らない。そしてある時、その仕組みに疑問を抱き、自分の部分を覗き込む。最新の機器に巨額のお金をつぎ込んで、こんなに近いものを必死に覗き込む。この、グッと来る滑稽さ。

さて、旬を過ぎた本であるため、書評はもう溢れているというレベル。

お隣さんも書評されている。ギュッとまとまった記事になっているので僕の記事なんかと比べると使い勝手各段に良い。
山路を登りながら、こう考えた。:生物と無生物のあいだ - livedoor Blog(ブログ)

いくつかのポイントをピックアップして、わかりやすく書いてあるものとしては、次の記事が面白いと思う。
書評「生物と無生物のあいだ」?生命のドラマを知る? - shingotada diary

僕も好きな書評ブログにもこの本に関する記事がある。
活かす読書 生物と無生物のあいだ
この記事には、対象読者が限られると書かれているが、僕はこれを広げたい。たとえば「好奇心がある人」とか。高校生程度の生物の知識があったら読みやすいのは確かであるが、興味が持てれば読み通せる威力がある本だと思う。

僕の評価は★★★★★(星5つ)
いろいろ満足の一冊だった。
ちょっと記事が長くなりすぎた上に、触れられなかったこともあって、反省点の多い書評になってしまったけれど…。
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